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達成感を得るために
「達成感を得るために」
楽をする。手を抜いて楽をする。それは、身体的には楽でしょう。 人は夢を実現させる熱い想いが無ければ、たやすく易きに流れるものですか?ただ、手を抜けば身体的には楽ですが、気持ち的には満たされないと思います。 苦しくても、辛くても、夢や目標に向かっているときは、その苦しさ辛さをやりきったときに、楽しさを感じてやれるものだと思うのです。 楽しんでやる方が達成感を味わえる。苦しみや辛さが達成感という楽しみに変わるのでしょう。 ただ、楽しむということの意味を自分で理解し、納得出来なければ、なぜ、しんどい思いをするのか?わからないでしょう。 自分は、バスケをするだけでいい、勝ち負けではなく、プレーが出来ればいいと言うのもありだと思います。しかし、それはスポーツのバスケではありません。 スポーツは競技です。技を競って、得点や記録を競り合って、勝ち負けを決し、その過程を一生懸命に全力を尽くし、その結果として勝ちを得て、負けを喫するのです。 勝つ喜び、負ける悔しさを体験することで、勝つ喜びを体験したいために、次に向かって行ける。だから、勝つ喜びという次を目指すために、自分をステップアップさせなければならないから、自分を追い込んだ練習が出来る。それは、自分が求める練習に対する姿勢であるべきです。 指導者から言われた練習だからというなら、選手は向上しません。だから、私は指導者として、子供達に檄を飛ばして追い込む練習はしません。 その練習の意味だけ語ります。試合におけるその練習の大切さを語ります。 それでも、自分を追い込むことが出来ないならば、それまでです。 自分も、その程度の練習にします。 ただ、それでは楽しいバスケを身をもって味わうことは出来ない!とは語りますが、あとの選択は子どもたちが決めることだと思います。 (ishii morio)
by kamonomiyamini
| 2013-01-09 00:16
| 選手、気持ち
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