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一生懸命を楽しむ
「一生懸命を楽しむ」
日本人は一生懸命を楽しむことが苦手のようです。一生懸命はどこかで苦しいと思っているところがあります。 全部とまでは言えませんが、日本のスポーツは「勝つこと」の楽しさを教えています。勝つことが楽しいと教えているから、勝つための練習をする。 さらに、多くの指導者が勝てなかったら「罰」を与えます。その罰が怖いから子どもたちは必死で練習します。まさに「結果エントリー」な指導です。 今、スポーツは子どもを「教育」するための人質になっているようです。確かに勝つことは楽しいですが、そのせいで、スポーツを通して得られる「仲間」や「成長」、「感動」などがないがしろにされているのではないでしょうか。 大人になると一生懸命やることに理由が必要になってきます。「なぜ、一生懸命やらなければならないのか?」とか「一生懸命やったら、何をくれる?」というふうに。 そして、「一生懸命やったら、ご褒美に食事に行こう」とか「一生懸命やったらからゲームを買ってあげる」というように、一生懸命やることは、ご褒美が必要なほど苦しいことと錯覚してしまいます。 そんな大人が指導をするから、苦しい方が成長すると考え、楽しみよりも恐れを与えようとする。そういう教育を受けた人が大人になって、また同じことを繰り返します。 幼い頃、勝つとか負けるとかに関係なく、夢中になって楽しんだ経験が誰にもあるはずです。 「一生懸命を楽しむ」と考えましょう。心の針を「ごきげん」に傾けましょう。 辻 秀一著 自分を「ごきげん」にする方法より抜粋 (ishii morio)
by kamonomiyamini
| 2014-03-09 06:32
| 選手、気持ち
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