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指導者と指揮官
「指導者と指揮官」
指揮官と指導者の違いは、指揮官は指揮権という強制力を持ちますが、指導者は強制力など持っていません。指導は特定のことがらについて、知識と経験を有する者が指導を行う者…指導者となり、指導を受ける者を、そのことがらについて知識を付与し、技量を向上させ、慣熟させる責任を有するのです。 その責任を有しますが、その責任を果たすための権限としての強制力は持っていません。指導は、「命令」とは違います。指導を受ける者は、指導された内容を行う義務はありません。 基本となるのは、指導者と指導を受ける者との間の信頼関係です。この信頼関係を築くために必要なのは、感化教導です。感化とは力ではなく心に訴えるものです。 教導とは感化によって得た、指導を受ける者の信頼を幹にして、目標に向かって教え導く行為です。この信頼を得るためには、指導者自らの自学研鑽と、率先垂範の姿勢と、言動がなければなりません。 これは演技でやっても、指導を受ける者はすぐに見抜きます。ですから、自分の人物すべてをさらけ出して、至誠をもって行わなくてはならないのです。 この信頼関係があって、指導を受ける者は、指導者の言動を安心して受け入れることができるのです。 指導者は、指導者であることにおごることなく、指導を受ける者の成長に伴い、彼等の自立を認めつつ、意見も聞きながら、指導者の信念を保ちつつ、従前の知識や技術に固持することなく、新しい知識や技術を学び、そのことがらについて、まず自らを向上させる意欲が必要でしょう。 そして、自分の指導理念、指導の基本となる考え方を堅持し自信をもって指導を行うのです。ただし、その自信が過信になり、傲慢になることは戒めるべきことです。 その指導は、指導術という教える技術が必要ですが、その根本も、指導者の熱意と誠実という熱誠をもって、語り行うことです。 特に、ミニバスの指導者は、バスケというスポーツの知識と技術のみを子供達に指導するのではなく、バスケというスポーツを通じて、子供達の健全な心を育む教育者としての立場にあることも自覚すべきです。 私はミニバスのコーチとして、子供達の人生に関わることに大きな責任があることを肝に銘じつつ、それに生き甲斐を見出しています。 ミニバスの指導者という立場は、子供達の心の鏡です。 それは自分を映す鏡です。その鏡が、私という人間を成長させてくれています。 やっぱりミニバスのブログより (ishii morio)
by kamonomiyamini
| 2012-10-14 04:35
| 指導者関係
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