> 以前の記事
2016年 11月
2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 > フォロー中のブログ
> メモ帳
|
>
やる木
「やる木」
練習に緊張感が足りないのは指導者の責任ではないか? 子供の「やる気」は、〝やる木〟という木の苗を植え、水をやり、育てていくしかないのだと思った。 スクスクと伸びていく木もあれば、遅々として伸びない木もある。杉のように真っ直ぐ伸びていく木もあれば、松のような木もある。 松に向かって、「真っ直ぐ伸びろ!」とイラつくのは、イラつくほうが間違っている。松には松の素晴らしさがあり、その素晴らしさを見抜き、活かすのが指導者の責務だろう。 「指導」とはまさに忍耐であり、忍耐こそ〝やる木〟の木を育てることだと考える。となれば、私に必要なのは「根気」、いや〝根木〟という木をいかに育てるか、ということになる。 子供に教えられることは多い。 (空手道場 向谷匡史氏ブログより) (ishii morio)
by kamonomiyamini
| 2012-06-26 20:55
| 指導者関係
|
> 最新のトラックバック
> ライフログ
> 検索
> タグ
> ブログパーツ
> 最新の記事
> 外部リンク
> ファン
> 画像一覧
|
ファン申請 |
||